マニアックな話
かなりマニアックな話をします。
ちょっと長くなりますが、どうぞ最後迄ついて来て下さいね。
このお話が全てのヒトに当てはまり、全ての人に役に立つかどうかは分かりません。
でも、この世の中には口にさえ出さないけれど、私と同じ様に感じていたり、同じ様な経験をしてどう活用して良いのかといつも頭の片隅にある方がいらっしゃるのだと感じています。
今日は、そんな少数派?もしかしたら口に出さないだけで大多数?の方へのメッセージです。
私の事
私は、子供の頃からヒトが見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる体質をしていました。
子供の頃は、誰もが見えて聞こえるものだと思って疑っていなかったので、そういう事を普通に友達に話をしてしまい、変な子だと嫌われてしまった事があります。
その事を疑問に思って母親に話すと、とても叱られました。
そして、その事を誰にも言ってはいけないと言われ、それは気のせいで錯覚なのだと教え込まれました。
その時に初めて誰もが見えている物ではなく、聞こえている物ではないのだと知りました。
このままではいけないと思ったのか、叔母がこの世を去る時に見える能力を全て持って行ってくれました。
でも、目に見えなくなっただけで感覚や嗅覚はそのまま残っています。
アロマに関わる仕事もしている位です。
匂いで感じる事はより鋭くなってしまいました。
いつかこれが役立つ日が来るのではないのかなぁとずっと思っていたのですが、この能力を発揮する日はあまり期待出来そうにありません。
最近人気のアニメの中で主人公が嗅覚が優れていてその能力で鬼を見つけるシーンがありました。
それを見た時に、
「私にも同じ能力がある!」と思いました。
でも。
「おい、待て!私。一体、どうやって鬼を退治するんだ?そもそも退治する鬼はどこに居るんだ?」
と、我に返ってこれは却下。
残念ながら今回もこの能力でお役に立つ事が出来ませんでした。
前世の記憶
そして、もうひとつの能力?とは?
それは、前世の記憶。
私には、夢とも幻想とも言えない過去の記憶が残っています。
その記憶はテレビで観た物でも、誰かに聞いた話でもなく、私の中に最初から存在する物です。
この記憶を教訓にして世の中の役に立てることが出来るのかなぁと思っていたのですが、どうも役に立ちそうにありません。
本当に世の中の為になる記憶を持っている方は、産まれた時からスター性を持っていて多くの方に影響を与えているのだそうです。
そして、前世の記憶を持って産まれて来た子供達が今の世の中を助ける使命を持っているお話も有名です。
でも、歳を重ねた私の様な一般庶民の場合はそれを誰か、または世の中の為に活かして行く事はなかなか難しい様です。
それで今回思ったことは、誰かの為とか、世の中の為と思うのではなく、自分の為、そしていつか出会うあなたに役に立つのかもしれないと思ってここに記しておこうと言う事でした。
きっと私のように人に話せない、でも人と違う何かを持っていたり、記憶を持っている方はいるのだと思います。
この記憶は何だろう?と悩んだりもがいたりしているでのはないかと思ったのです。
胎児の記憶
以前、胎児だった時の記憶を持っている方に出会った事があります。
自分は母親の胎内に居るのに母親が病院を歩いている姿の記憶を持っているのだそうです。
私にも母親の胎内で聴いていた音楽の記憶や母親が見た光景の記憶があります。
誰にも話していない記憶を共感し合った事があります。
中には、長い廊下を女の子と追いかけっこをしている記憶を持った方が、自分は追いかける方だったと言う方と巡り合って、お互いの記憶が合致した方もいらっしゃいます。
そうやって、再会出来ることもあるのです。
私の記憶
私の記憶の一つです。
小学校の時、社会の授業で先生がマッカーサーをとても悪く言いました。
それを聞きながら、
「何故この人はこんな事を言うのだろう?優しい人だったのに」
と独り言を言った自分がいました。
「え?今のは何???」
「誰の声???」
それがこの時代の記憶の始まりでした。
ジブリ映画のDVDは全て持っているのに、何故か「火垂るの墓」だけは観ていません。
沖縄の友人を訪ねた時、戦争に関わる有名な観光地は一切連れて行かれませんでした。
鋭利な刃物や先の尖った長い物が苦手な事は竹槍で米軍を倒せると信じている日本国民が何を信じて戦っているのかと言う疑問と本当にその竹槍で仲間が殺されてしまった場面を目の当たりにした恐怖と矛盾の記憶のせいだと気付く出来事がありました。
軍用犬を連れて歩いていた事。(この時の軍用犬は前世のMAYAです)
迷彩やアーミーグリーンが好きな事。(好きと言うかしっくり落ち着く感じです)
途切れ途切れの記憶が点と点が結ばれる出来事がありました。
他にも、
花魁だった時代に誰かを待っている事。
魔女だった時代にハーブや薬草を使って村の人々を助けて来た事。
異端者で誰かに殺されてしまった事。
読み書きが好きで仕事にしていた平安の時代。
話せば長くなりますが、その他にも記憶があります。
記憶が全て解明される事は無いかもしれません。
でも、日々の生活の中から、ちょっとした日常から気付く事が沢山あるのです。
自分の事を大切にして、ちょっとした事でも気のせいにしないで見逃さない事が大切だと思います。
そうする事で現世の自分を生きやすくするアドバイスを過去の自分から受け取る事が出来る様になって来ます。
前世の自分が今世の自分に伝えたかった事を受け取って生きる事こそ、バトンを繋ぐ様に今世の役割を務めて来世の自分へバトンを繋ぐ事になるのです。
いつか出会うあなたへ
同じ記憶を持っているあなたに出会えたら、私のこの記憶の意味が解明出来るのかもしれません。
逆にあなたの持つ記憶の意味の解明になるのかもしれません。
今、出会えていないのはそれにも意味があって。
まだまだ修行が足りないのだと思います。
時期ではないのでしょう。
お互いが成長をして本当の意味で出会っても良い時が来たら出会うのかもしれません。
お互いが成長をして出会う事があったら、
「久し振り!その節はどうもありがとう!」
って笑ってお話出来たら嬉しいなぁと思っています。
それが男性なのか女性なのか、年上なのか年下なのか、日本人なのか言葉の通じない外国人なのか、はたまた地球人ではないとか。
何も分かりません。
あなたがどこの誰かも分かりません。
でも、目の前にある自分の事を精一杯生きて、日々感謝の気持ちを忘れなければ、きっとこの記憶を役立ててくれるヒト、又は同じ記憶を持つ誰かに出会う日がやって来るのだと信じています。
同じ記憶を持っていなくても、私と同じ様に過去の記憶を持っている方は、きっとその意味が分かる日が来ると思います。
それがいつかは分かりませんが、その日に近付いて行けると良いなと思っています。
その日に近付く為に日々一生懸命生きましょう。
いつか出会うあなたへ

子供の頃にはこの事を誰かに話すと変な事を言う頭のおかしい子とか嘘付きだと言われる事があったので誰にも話してはいけないと母親にキツく止められていました。
誰かに迷惑を掛けてはいけないと誰とも共有しないで生きて来ました。
でも、大人になって変な事を言う人だとか、頭のおかしい人と思われるのは自己責任なのでこの事をここに記しておきます。
生きている間に自分に起こる全ての事は何もムダはなく、全て意味があって自分に関わっています。
きっと、その記憶も何かしらの意味があって、ムダは何一つないのです。