パワースポットって?
「パワースポット」と言う言葉をご存知ですか?
「パワースポット」とは、ざっくり言いますと気が高くて訪れると元気になる、癒される、願いが叶う場所の事を言います。
大地のエネルギーを取り入れる場所と言う考え方もあります。
余談ですが「パワースポット」という言葉は、実は和製英語です。
この和製英語は日本以外でも通じる位にブームを通り越して人々の生活に定着しています。
旅行やデートスポットに欠かせないジャンルのひとつとなった「パワースポット」巡りは、メディアや雑誌で度々特集が組まれるようになっています。
「パワースポット」という目に見えない世界に興味を持つ人が増えた事は、それまでの物質中心の時代から心や精神を大切にする時代に移り変わっている事を表しているのかもしれません。
「パワースポット」は訪れた方が良い方向に向かう何かしらのキッカケになったり、元気をもらってまた明日から頑張れる活力を与えてくれるエネルギーをもたらしてくれるのではないかと思います。

江戸時代のパワースポット
江戸時代にはパワースポットは、弥盛成地(いやしろち)と呼ばれ、神や仏が宿る神聖な場所の事を言い、草木が育つ元気の出る場所とされていました。
反意に気枯地(けがれち)とは元気を吸い取られる薄気味悪い所、植物が育たない場所の事を言いました。
私達の遠い祖先達の頃から呼び方は異なっても「パワースポット」に訪れて元気になる心は受け継がれているのです。

昨今のパワースポット
困った時の神頼みやエネルギーチャージをする為に訪れる「パワースポット」
今よりも良くなりたい、開運したい、助けて欲しい…等は誰もが願っている事なので「パワースポット」と言われる場所を知ったら一度は訪れてみたいと思うのが心情です。
「パワースポット」巡り等の沢山の本が出版されていますし、ネットで調べればあっと言う間に道順迄出て来ます。
この位の距離だったら日帰り出来るかな等予定も立てやすくなっています。
私の身近にも「パワースポット」と呼ばれる聖域がありますが、子供の頃にはそんな場所とも知らずに遊びに行っていました。
でも、昨今の「パワースポット」ブームでメディアに取り挙げられてから沢山の人々が押し寄せる観光名所の一つとなり、「パワースポット」自体のエネルギーが変わった気がします。
「聖域」とは新鮮な場所で人間が介入してはいけない神様の神聖な場所です。
その神聖な場所が荒らされてしまっています。
時代が移り変わってお遍路さんや巡礼地への旅は徒歩ではなく、車やバイク、自転車で誰でも行ける便利な場所になりました。
道も舗装され、観光地化が進みになり、自然が少なくなって来ています。
時代と共に変化して行くので仕方がない事かもしれませんが、これからの時代にはメディアに頼らずに自分に合った「パワースポット」は自分で選んで行かないといけないのだと感じています。
きっと先人達もそんな「パワースポット」の情報が散乱してなかった時代には人々は自分の住む地域の神様の宿る場所や自分の信じる神様の所を訪れていたのではないでしょうか。
今では、信じる信じない等の宗教や精神に関係無く、誰でも何処にでも自由に行ける時代です。
願いを叶える為に沢山の大きなエネルギーが動いている場所になっています。
「パワースポット」が荒らされている感じがして、逆にあまり良いエネルギーではないモノを受けてしまったお話も多々あったりします。

新しいパワースポット
会うと元気になったり、声を聞くと勇気をもらえるヒトが居たとしたら、その方が居る場所こそが「パワースポット」なのかもしれません。
もしもあなたが誰かの元気の元になれるのだとしたらそれは誰もが「パワースポット」「ラッキーアイテム」の一つです。
「パワースポット」でエネルギーチャージがしづらくなっている今、個々の力が大切になっています。
自分自身の軸をしっかり持って何があってもぐらつかない自分になれたら、何処に居ても誰と居ても自分が居る場所こそ「パワースポット」なのかもしれません。
