アラカルト

お葬式〜vol.2〜

お葬式のお話のつづきです。

前回は、身内が亡くなったあと、悲しむひまもなく取り決めることがたくさんあるお話をしました。

お葬式〜vol.1〜葬式は悲しんでいる場合ではありません。 ドラマなどで観るお葬式は静かで悲しみにあふれています。 お経と木魚の音とすすり泣く音だけ...

今回はその続きです。

お葬式は何派?

お葬式を取り決める時、何派のお葬式にするのか?

宗派によってお葬式の形態が異なります。

今日はその宗派によって異なる考え方についてのお話です。

私の場合、父親が自分のお葬式のことを生前にお世話になっていた神社の神主様にお願いしてあったのでお葬式は神道式で
行われました。

お葬式をとり行う人の呼び方のちがい

ちなみに、お葬式によってとり行なってくださる方が異なります。

お寺では「僧侶(そうりょ)」

お坊さんのことです。

教会では「牧師(ぼくし)」

神父さんのことです。

神式では「宮司(ぐうじ)」

神主さんのことです。

父親のお葬式は神社がとり行う「神道式」なので、お葬式とは言わずに「神葬祭」になり、とり行なってくださるのは「宮司」様になります。

仏教と神道式の違い

では、仏教と神道式ではどう考え方が違うのでしょうか。

大きく異なる考え方の比較をしていきます。

仏教の場合、お葬式は故人を極楽浄土に送るために行われ、故人は仏のもとで安らかに暮らすとされています。

天国に行って安らかにおだやかにすごすということです。

これに対して神道式のお葬式である神葬祭は、故人を家にとどめて守護神とするための儀式とされています。

生命は神が人間に「お任せになったもの」であり、いつかは神に返さなければならないものであると考えられています。

その生命を返すときが「死」とされています。

守神さまになって私たち家族を見守ってくれるということです。

そして、お葬式を行う場所ですが、仏式のお葬式はお寺で行われますが、神葬祭が神社で行われることはほとんどありません。

神道では死は「けがれ」であるとされているので神社のような「神の聖域」にけがれを持ち込むことはよくないとされているためです。

自宅や葬祭場などで神葬祭がとり行われます。

「冥福」「成仏」「供養」という言葉は使ってはいけません。

通常、お葬式の時に「ご冥福をお祈り申し上げます」と親族にお伝えしますが、これは仏教用語です。

死に対する考え方が仏教と神道では異なるので、

神道では、「御霊のご平安をお祈りいたします」になります。

数珠を使うのも仏教なので神道では使用しません。

享年(きょうねん)ってなに?

父親は78歳でこの世を去りました。

でも、享年80歳と書いてあります。

あれれ?宮司様まちがっていませんか???

もしかして、おまけしてくれていますか?

と思いましたが、新葬祭のあとにちゃんとお時間を取って下さっていて、ていねいにさまざまなことをお伝えくださいました。

では、享年とはなんでしょう?

享年とは、「天から享(う)けた年数」のことで、亡くなった方がこの世に存在した年数という意味をさす言葉です。

享年の数え方

享年の数え方は実年齢とは異なり、数え年で計算されます。

数え年は、「産まれた年を1歳」とし、「1月1日になったら1歳加える」という数え方になります。

この世に産まれてからが人間誕生ではなく、母親のお腹の中生命が宿ったときが人間誕生になるという考えから、胎内の期間である十月十日も年齢に加えるので産まれた瞬間に1歳となる数え年が使われます。

父親は78歳だけれど、この世に生命として生まれてきた年をプラス1年。

元旦を越しているので数え年でプラス1年。

合計80歳ということになります。

決しておまけをしてくださっているわけではなかったのです。

享年は「天からいただいた寿命」

そして、宮司様はこう教えてくださいました。

享年とは「天からいただいた寿命」ですと。

親しい人が亡くなると、人間は「あの時こうすればよかった」「あの時こうしてあげていれば…」と思い悩み自分を責めてしまうものだけれど、それもこれも含めての「寿命」なのですよと優しい口調で続けてくださいました。

「寿命」を精一杯生きたのだから、残された人たちは思い悩んだり自分を責めてはいいけません。

それよりも、「寿命」を精一杯生きたね!と送り出してあげることこそ故人を送り出す心です。

だから、自分のできることを精一杯やったのだと、自分を責めないでほしいとおっしゃってくださいました。

「喪」の正しい過ごし方

宮司様のお話は続きます。

「喪(も)」について宮司様のお考えをお話してくださいました。

「喪」とは、身近な人が亡くなった人が過ごす一定期間のことです。

日常生活とは異なるお祝い事や交際などをひかえてつつしんだ生活をする期間を言います。

「喪」が明けるまでは悲しんだり故人を思っていても構わないけれど「喪」が明けたらそこからはまた元の生活に戻ってこの世でのご自分の役割を果たさなければいけません。

故人が居なくなった生活に慣れる準備の期間でもあるのです。

その代わり、喪が明けたら自分の役割をしっかり果たして精一杯生きていかなければいけません。

そのための「喪」なのです。

と、宮司様が生前の父との会話を交えながらわかりやすくお話をしてくださいました。

その優しいお心遣いと生前の父との会話を伝えてくれた言葉は私の中にス〜と溶けていきました。

神道式では仏教の四十九日のことを五十日祭と言います。

「喪」が明けたらまた走り出しますのでどうぞよろしくお願いいたします。

父親が自分の葬儀を宮司様にたくした意味がよく理解できました。

大切な方を亡くしてその気持ちをどこに持っていけば良いのかわからない方もいらっしゃると思います。

宮司様の言葉が心を温かくしてくださったので、宮司様のお言葉を今回ご紹介させていただきました。

「喪」が明けたあなたがこの世でのあなたの役割を果たすために走り出せますように。

私も、自分の役割を果たします。

さいごまで読んでくださいましてありがとうございました!