プロフィール

私について。

私が占い師になったキッカケについてお話ししたいと思います。

キッカケと言うよりも私自身の話です。

私は幼少の頃から人が見えないモノが見え、聞こえないモノ聞こえる、世の中の人からすると妙なことを言う変な子供でした。

風と話し海と戯れ月と話し木々と話し森の精霊や妖精と話をし霊的なモノは普通に見え人のオーラも普通に見え見えない存在「そっちはダメ!」とか教えてくれたり、「今日は止めた方が良いよ」と話し掛けてくれました。

私の育った環境は目の前が海!

海は浄化エネルギーが満ちています。

海で遊びながら自然と浄化されている毎日を送っていました。

今でも時々、海に出掛けて、裸足になって海と戯れるのは日常の疲れを癒したり、浄化する事が身に付いているからです。

私の占い師としての名前は美羽=Miu。

みうは、美しい羽=天使の意味と、反対から読むとうみ=で海です。

「美しい羽根の天使」「浄化の海」の意味を持つ名前です。

自分がなりたい自分に名付けた名前なのだと最近になってしみじみ感じています。

大好きな海に居る時、風はいつも一緒でした。

優しく頬を撫でたり、海と囁き合って、波を立てて服を濡らさせるようにイタズラして来ました。

そうすることで私は風と一緒に海で一日中遊びまわりました。


夜は家のベランダから見える海に映る月が作る道を見るのが好きでした。

月との会話はとても楽しかったです。

月は何でも知っていました。

あの光の道を辿れば何処か遠くに行けると信じていました。

「この道を辿れば何処に行ける?」

と私はいつも月や風に問いかけていました。

月と風とのお気に入りの遊びはシャボン玉でした。

月灯りで光り輝くシャボン玉を風が何処かに運んでくれました。

「誰かに届くといいな!」

このシャボン玉に込めた思いは、知らない誰かの元に届いていたのではないかなぁと今でも思っています。

この頃の私は、自分が何者なのかなんて考えていませんでいた。

ただ、海や風と戯れて月を愛で、みんなと自然に話をするのが好きでした。

それが、今の自分を形成する原点になっているなんてその時はまったく気付きませんでした。


風は自由で何処にでも行ける存在でした。

知らない異国の香りを運んでくれたり、風が何処に行くのか、何処から吹いて来るのかを教えてくれました。

私の人生の師とも言える存在です。

風は誰かの思いや誰かの声、誰かの香りを届けてくれます。

そして、逆にこちらの思いや声も届けてくれる存在です。

風は時間や時空を超えて自由なのです。

こんな風に風と話をしたり、月と話をする事は私にとって普通の事だったので、それを日常出来事として友達に話していました。

誰もが私と同じ様に見えたり聞こえたりしているものだと思っていたからです。

私は、友達が風とどんな話をして、月にどんな話を聞いているのかが知りたかったのです。

でも、それがキッカケで、

「変な事を言う子」

だとか、

「嘘付き!」

だとか言われた事があり、いじめられた事がありました。

その話を母親にしたところ、酷く叱られました。

そして、

「その事は決して人には言ってはいけない!」

とキツく口止めされ、その事はまるでなかったかの様に私の心の中に留めるようになって行きました。

「普通は見えたり聞こえたりしないものなんだ。」

これが私が初めて知った人とちょっと違う変わったところです。

何故、母親がそこ迄頑なに私に口止めをしたのか、あんなに怒ったのか、その時には理解出来ませんでした。

後で知った事ですが、母親も私と同じで見えないモノが見え、聞こえないモノが聞こえる体質でした。

母親はよく額に手を当てて横になっている事がありました。

額は第3の目が宿る箇所です。

あの頃の母親は見え過ぎて疲れていたのだと思います。

母親は、ただ見える聞こえるだけではなく、例えば友人が母親に会う前にさっきまで会っていた人が見えたり(例えば不倫をしている人であれば、誰にも秘密の関係を知ってしまったり)沢山の人の気持ちや嘘が見えたり聞こえたりして、それを制御する事が出来なくて疲れやすく、よく額に手を当てて静かに横になっていました。

母親は自分の能力をよく知っていたので、私に自分と同じような道を歩ませたくなかったらしく、占いや霊の事などに興味を持つ事もそう言った関連の本を読む事も禁止しました。

平凡な幸せな道を歩んで欲しいと願う気持ちは普通の母親と変わらなかったのだと思います。

その頃時々、母親に連れられて近所の母親の友人の所に行きました。

母親の友人は他の母の友人のおばさん達と異なって、私に手を当ててくれたり不思議な事をしてくれました。

死なない程度の病気や怪我を繰り返す私は、こうして沢山の魔女達の力で守られていたのです。

魔女達が居なかったら、とっくにこの世に存在しなかったかもしれません。

学生時代になると、勉強や部活や友達付き合いで、子供の頃のようにしょっちゅう風や木々と話をしなくなり、普通の高校生活を送り始めていました。

でも、学校や沢山の人が集まる場所では沢山の「気」を受けて体調を崩しました。

そんな日の夜はベランダから月を眺めていました。

全身に優しく力強いエネルギーが満たされていくのを感じていました。

月のエネルギーは浄化をしてくれて、癒してくれるのです。

そうやって、私は自然の力に助けられていました。

今まであまり言った事が無いのですが、親の望むように普通に就職をした事もありました。

でも、見えない様々なモノが邪魔をします。

沢山の「気」が滞る場所ではよく体調を崩しました。

多分、「そっちではないよ〜」と見えない何かが教えてくれていたのでしょう。

何かしらトラブルになったり、何かしらストップが掛かったりしました。

今度は大人の「気」を受けて体調を崩す事が多かった時代でした。

学生時代と異なってもっとドロドロした重い気が充満していました。

吐き気を覚えた事も多々ありました。

自分が何故こんなに体調が悪くなるのか、何故こんなに疲れやすいのか。

とても悩んだ時期でした。

この頃の私は自分で制御したり、気を受けないようにする事が全く出来ていなかったのです。

この時期に見えないモノに逆らい続けてばかりいたので、交通事故に遭い死にかけた事もありました。

それがキッカケでお仕事を辞める事になった事もあります。
(その位しないと気付かない!と言う時に起こります。)

この頃、母親はとても私の事を気に掛けていて、執拗な心配をしていました。

その忠告を聞かなかった結果でした。

私の側には沢山の魔女が存在していた事を改めて知らされたのですが、私が搬送されて入院した時、母親の元に電話を掛けて来た母親の友人が居ました。

「ようこちゃん、大丈夫?」

誰にも言っていないのに、私の事故の事を知っていたそうです。

「骨、折ってないよね?」

骨折はしていなかったので母親がその事を告げると、電話の主はホッとしたように、
「良かった。骨折していたら再起不能だったわよ」
と母親に告げたそうです。

幼少の頃に連れて行かれていた何かしらのヒーリングをする魔女も、今回の予知能力の魔女も普通の主婦で普通のオバさんです。

普通の主婦の中にも魔女が居る事を知った初めての出来事でした。

きっと、現代の魔女は一般の生活の中に溶け込んで、何かしらで人を癒したり助けたりしているのだと思います。

自分だけ何でこんな目にあうのだろう?

人生に迷い、自分探しをしながら占いを頼りました。

私は占いをされる側でした。

その時は、まさか自分が占いをする側になるとは思っていませんでした。

でも、占いに行くと、最後にこう付け加えられました。

「あなたはこちら側の人よ。早く目覚めなさい。」

ある占い師さんは、私が入って来た時に、

「こちらの者だ!」と感じたそうです。

そして、最後にハグをしてくれた時に、

「やっぱりこっち側の人だ。青いオーラが見える。早くおいで。待ってるよ」

と言ってくれました。

また、別の占い師さんは、何かのカードを見ながら同じ事を言っていました。

「そう言う運命なのだ」と。

自分に素直に正直に。

そして、

「目覚めよ」
と。

これが何度かあって。

もしかしたら、自分の知りたい事が分かるかも。

長年悩んだ事が分かるかも。

私を助けてくれていた魔女達の意味が分かるかも!

その言葉の意味が知りたくて。

自分が何者かを知りたくて。

自分探しの意味で占いを学び始めました。

占いを学んで行く過程でアロマやレイキに出会いました。

必要な事はどんどんやって来ました。

アロマは認定校にもなり、レイキもマスターティーチャーになり、教室を開きながら占い仕事を始めました。

イベントや講座の仕事等も沢山お仕事を頂きました。

(今はアロマの認定校はやっていません)

資格マニアで取りまくっていた時。

資格があれば自信も一緒について来ると信じていました。

でも、資格をいくら取っても自信はついて来ませんでした。

一生懸命頑張った自分を褒めてあげる事も出来なくて、これが足りない、あれが足りないと足し算ばかりしていました。

頭デッカチのスピにしか興味が無い生活になってしまった私に一つの出会いがありました。


それがカフェのHIROとの出会いです。

HIROは、私と全く異なる人種で目に見えるもの、耳に聞こえるものしか一切信じないタイプでした。

HIROとの出会いは、私が彼のお店のお花を生けに行った事がキッカケでした。

顔を合わすうちに話をする事が多くなって、私のスピで頭デッカチになっているのを見て、偏った私の考えを聞いていて、お説教をして来ました。

「よく今の今まで人に騙されないで生きて来れたよね。もっと地に足を着けて生きて行かないと足元すくわれるよ」


そして、

「明日から空いた時間はここでバイトをする事!地に着いた仕事をして、ちゃんと自立しなさい!」
と、グランディング(地に足を着ける)する事の大切さを教えてくれました。

カフェでの生活は、人間そのものの営みが見えて、違った観点で私の魔女修行になって行きました。

あのままカフェでの仕事をしていなかったら、頭だけスピで地に足が着いていなくてフラフラしていたかもしれません。

そして、長い月日を経て、足りない物を数えるよりも、
「今、自分にある物は何だろう?」と考えるようになって行きました。

それを教えてくれたのが、シベリアンハスキーのMAYAでした。
彼女は何も出来ない私をとても褒めてくれて、無条件で愛してくれます。


例えば私が100キロになったとしても心は変わらないだろうし、私が男だろうが女だろうが、占い師だろうがなかろうが、そんな事関係無く私の事を頼ってくれています。

「こんな私でいいの?」

と思う事は私を大切に思ってくれている人に大変失礼な事なんだ、MAYAにも失礼なのだと気付かされました。

その頃、アロマで知り合った方がアニマルコミュニケーターさんで、MAYAの事を見てくれました。

MAYAが私の事を、
「ようこさんって凄いんだよ!アロマが出来て占いが出来るの!私のママになってくれたの!」

と自慢したそうです。

恥ずかしかったけれど嬉しかった記憶があります。

 

そして、それがキッカケになり、

「私もアニマルコミュニケーションでMAYAと話がしたい!」

と思い、アニマルコミュニケーションを学び始めました。

MAYAが新しい私を気付かせてくれたのです。

足し算ばかりしていた私の人生は、引き算する事に変わって行き、自分が出来る事、したい事とシンプルになって来ました。

「資格にこだわらずに、自分の信じた道を歩いて行こう!この子達と!」
と思っている私が今、ここに居ます。

ダメダメ人生を歩んで来た私だから、自分探しをしてもがいている人の気持ちはとてもよく理解出来ます。

何かにこだわる人の気持ちも執着してしまう気持ちもよく分かります。

自分を褒めてあげられない人の不器用さも分かります。

良い事も悪い事も全て今の自分を形成する為に必要だった出来事だと、今では思えますが、その頃は、

「何でで私ばっかり???」

と思っていました。

その経験がスパイスになって、今の私の占いであり、ヒーリングであります。

私が学んだ事が全ての人に当てはまる良い事だとは思いません。

でも、きっとあの頃の私のように沢山悩んで人に話せない人も多く居るでしょう。

そんな人がちょっと元気になったり、ちょっと学んだり出来る事を考えたら、個人でお教室や講座をしているよりもネットの力をお借りした方が良いのではないかと思いました。

それがこのblogの存在する意味です。

ちなみに母親ですが、私がこの道に進む事を決めた時に、

フッと溜息をついて、

「やっぱりそういう方向に行っちゃうんだね。」

と寂しそうにつぶやいた事を今も覚えています。

どんなに阻止しようとしても、親は子供の道を妨げる事は出来ないのだと思ったのだと思います。

あまりにこの世界が生きにくい私を思ってか、能力者であった母方の叔母が亡くなった時に私の見える能力を持って行ってくれたらしく、見える能力は減りました。

その代わり、嗅覚が敏感に残ってしまい、そこがまたアロマセラピストらしいなぁと感じています。

「人をだます事だけはしない事!」
と母親は強く念を押しました。

だから、私は、人を騙す事、欺く事は決してせずに、占いに出た結果をただ正直にお伝えする事を心掛けています。

ずっと自分に自信がなくて、自分を好きになれなかった私がそのままの自分で良いのだと気づいた人生。

子供の頃に私を助けてくれていた普通の生活に溶け込んでいる魔女達のように、もしかしたら今度は私がお手伝い出来ることがあるかもしれません。

そんな私と子供達のblogです。

どうぞ末長くお付き合いください!

よろしくお願いいたします。